東京馬喰町のあらもの問屋松野屋さんとのポップアップショップ企画「あらもの雑貨の世界」の連携イベントとして、2月1日(土)に「松野屋社長松野弘さんのトークーイベント」が開催されました。20名を超える多くの方に、ご参加いただき、会場は大いに盛り上がりました。
ところでみなさん、あらものってなんだか分かりますか?
作家モノのような1点モノでもなく、低価格モノ(例えば100円均一商品)のように使い捨てのものでもない。
ローテクの工場で、細かい細工はしていないけど、実用性を重んじて、ながく使えるようなものづくりでできたものです。
その大半は手作りでもあります。民藝が民衆に美を見出すのとは違う、民衆的手工業と言えるかもしれません。
松野さんは、こうしたあらものづくりの全国の作り手とつながり、
誰がどこで作っているか確かめるため、生産者を訪ねているそうです。
あらものは単価が安いので、問屋が入っていかないと、仲介できないし、つくり手たちも続いていかないそうです。
松野屋さんの役割は、こうしたあらものの需要をつくり、問屋として注文し買っていく。
その発注の仕方も、できたら送ってという発注の仕方をしていて、つくり手のペースをくずさない。
トークイベントは、松野社長の京都のカバン屋さんでの修行時代からはじまり、あらもの問屋としての役割や、
アメリカ発のヘビーデューティーに憧れた松野社長が考えるものの価値観など、折り交えてすすみました。
最後に、雑という価値観がいかに大切かというお話がありました。
雑煮や雑穀、雑誌、雑草や雑貨、雑多など身の回りに「雑」という字を使う言葉、結構ありますね。
複雑な価値観が入り混じる現代においては、雑ということが、いかにポジティブなことかを感じさせてくれます。
あらもののよいところは、決して大切に使い続けることに価値があることではない。
ちょっと雑に扱ったりすることにも耐え、しっかり使って、最後まで使い切る。ホウキなんかは最後に薪になんかしたりして。
今回のトークイベントの聞き手丹治さん(信陽堂編集室)からの指摘もありましたが、
あらものの面白いところは、モノとしてとてもシンプルなので、ともすれば自分で作れちゃうかと思わせるところ。
つまり、つくリ手と使い手の境界線が曖昧です。
そして、
そんなあらものの魅力にハマると、やがて自分でものをつくっていくのかもしれません。
自分で作ったものだから、大事に使って最後まで使う。そうするとほかの誰かがつくったあらものも、同様に使いきる。
決してモノを買って消費することが終わりでない。暮らしの中心をモノではなく、自分に置き続ける感覚を鍛えてくれるような感じがします。
あらものを使うということは、暮らしの作り手であり続けるコトなのかもしれませんね。
【松野屋松野弘さんトークイベント】
「あらもの雑貨が生まれる場所」 ー民藝と工業製品の間にある未来ー
松野弘さん ( 松野屋店主 )
丹治史彦さん ( 信陽堂編集室 )
2020年2月1日(土)19:00-
場所:石巻まちの本棚