まちの本棚だより

カテゴリー:ブックレビュー

2016.11.8 【ブックレビュー】夏葉社の本 text by 本棚くん

先月10月に開催されていた「夏葉社フェア」
大好評のうちに終了いたしました。
みなさまお越しいただき誠にありがとうございます。

出版社を立ち上げ丁寧につくり上げた島田潤一郎さんの珠玉の本たち、
ひとりでも多くの人に届いてほしいと思いをこめて、
石巻まちの本棚運営スタッフでブックレビューを書いてポップにしていました。

ここではそのブックレビューを大公開しちゃいます!
気になる本があればぜひお近くの本屋さんにご用命ください!

小さなユリと
「小さなユリと」

黒田三郎の詩は、なんとも言えないやさしい言葉で書かれている。

父親である黒田と小さな娘ユリとの生活、そして病院にいる妻を見舞いにいく。
酒を飲み、小さなユリと暮らし、会社に遅く出社し、多くの勤め人が出勤したあとの落ち着いた住宅地を歩く。
そんな日常を過ごすことに、どこか申し訳なさや
恥ずかしさを感じた言葉。

孤独なのか幸福なのか、自己嫌悪なのか自己肯定なのか、様々な気持ちのあいだをゆれ動く感情。

それなのに言葉は穏やかだ。
そんな詩集を読んでいると自分自身も起伏があったとしても、私から発せられる言葉だけは穏やかでありたい。そして心穏やかに過ごしたいと思うのである。
(かつ)

レンブラントの帽子
「レンブラントの帽子」

日々の生活の中で,「あー,人間って何なんだろう 」と思うことがありませんか。

特に,何ともしようがないのが,自分。
うぬぼれや傲慢,妬みや懐疑心。そんな自分に気付いて,さらに落ち込んでしまうことも…。マラマッドが描き出した人物を見ていると,その暗い部分すら,愛おしく感じられてきます。

 夏葉社で最初に作られた本。この本が出版されるまでの島田さんの熱い思いと忘れがたい人達との出会いが,「あしたから出版社」(晶文社)にたっぷりと書かれています。本がこんなに心を込めて作られていくのかと驚かされます。まだの方は,そちらも合わせてどうぞ。         
(koma)

昔日の客
「昔日の客」

~残念ながら,その時代にいらっしゃれなかった皆様,父の魂が込められた,この1冊が「山王書房」でございます。
いつでも何度でもいらして下さい。~

息子さんが書かれたあとがきです。
文学者たちに愛された,東京の古本屋「山王書房」の店主関口氏の随筆集。

ここでは,親しくされた方との交流と別れが,風呂敷いっぱいの蜜柑やら,もぎとってはふところに入れた柿やら,落ち葉やどんぐりなどと一緒に豊かに語られています。

人とのあれこれに疲れたとき,何度でも開きたくなる美しい一冊です。

どれも好きだけど,「大山蓮華の花」と「洋服二題」がいちばん気に入っています。        
(koma)

ガケ書房の頃
「ガケ書房の頃」

京都の本屋さん「ガケ書房」店主の山下賢二さんの著書。(現在は移転を機に「ホホホ座」と改名)
山下さんの子供時代から「ガケ書房」を始めるまでの道のり、「ガケ書房」経営の毎日のこと、閉店、「ホホホ座」のことなどなど、これでもかというくらい正直に書かれています。
以前、本屋さんを営まれていたまちの本棚の大家さんは、「私にとっては、この本は『実用書』に思える」とおっしゃっていました。
この本に大いに刺激を受けながら、まちの本棚のお店番をしています。
(店長)

さよならのあとで
「さよならのあとで」

この本は1編の詩で構成されています。
発行人夏葉社の島田さんが、ひとり出版社を
たちあげるきっかけとなったと伺う、大切な従兄の突然の死。
叔父叔母のために何ができるか。そんな強い思いから、
この本はうまれた。。
もしかしたら、読むことに少しばかりの勇気がいる
かもしれません。私自身がそうでした。
読み終えて湧いてきた心もちをあらわすとするならば、
大切な人たちへの「一緒にいてくれてありがとう」でしょうか。
どうぞお手にとっていただければと思います。
(ゆめんぼ)

移動図書館ひまわり号
「移動図書館ひまわり号」

まだ「図書館」という建物が日本には一般的ではなかったころ、
東京日野市ではじまったたった1台の移動図書館は、日本中の図書館のあり方に影響を与えた。

日本の図書館の夜明けの物語。
この物語は、図書館だけではなく、すべての公共施設のための手探りの物語でもあるんだと思った。
今だからこそ、読んで欲しいそんな1冊。

夏葉社さんが復刊してくれなかったら出会うことのなかった本でもあります。
(かつ)

2015.10.27 【ブックレビュー】エフスタイルの仕事 text by 猫ぱち

「エフスタイルの仕事 」
五十嵐恵美+星野若菜 /著者
アノニマスタジオ/出版社
価格:2,376円(税込み)
石巻まちの本棚で好評販売中!

「エフスタイルの仕事」を読んで

最初この本を手に取ったとき、地に足がついたような重みのある内容に背筋が伸びる思いがしました。
「エフスタイル」の不思議なはじまりや仕事の取組みかた、それぞれの製品と作っている作り手のことがとても丁寧に書かれています。
ものづくりの始まりから最後まで、自分たちがどう関わっていくのかその都度向き合い努力し、作り手とひとつの製品を作り上げる。それをどのようにお客さんの手に届けるのか。誠実が誠実を呼び生み出された、力を持った製品から、別の出会いやつながりが生まれ広がっていく、そのエネルギーが胸に響きます。ひとつひとつの章それぞれが、真剣さはありつつも製品が出来上がっていくワクワク感がにじみでていてドキドキしながら読み進めました。

縫製の仕事をしてきた自分にとっては、大量生産、大量消費、大量廃棄の時代にあって、エフスタイルのお二人が出会った作り手たちが生き残ってきた理由、どう向き合って、何を選択してきたのか、そんなことも考えさせられる本でした。
今後、折にふれて手にとりたい本の一冊になりました。

2015.5.31 【ブックレビュー】まちへのラブレター: 参加のデザインをめぐる往復書簡 text by かつ

「まちへのラブレター: 参加のデザインをめぐる往復書簡 」
山崎亮 乾久美子 /著者
学芸出版社/出版社
→購入はAmazonから

「みんなでつくることの設計」

みんなでつくる。みんなで考えるという言葉の美しさや耳ざわりの良さに、ついつい忘れてしまうことも多いが、みんなで何かをつくりあげることはひとりでやること以上に念密な設計が必要になる。みんなで考えるという手法は決して誰かの意思でものごとが決定し、自動的になにかが進んでいくような他律的なものではない。

ワークショップという言葉も一般化し、多くの人が主体形成としてのワークショップの効力を疑うことなく認めている。
自分自身も主体形成に関しては、ワークショップは非常に有効だと思うし、特段東北や市街地でのまちづくりのような、主体がこれまでいなかった所、もしくは今までのステークホルダーではない主体が立ち上がりつつある所に対しては、ワークショップの場所自体が意思決定の場ではなく、何か緩やかなネットワークを繋げていく場としてはなくてはならなかっただろう。
しかしながらこのワークショップ、重ねれば重ねるほど集団としてのフラストレーションが溜まることもある。ある熱気まで達することは容易できても、みんなでつくることが創作を更なる高みに引き上げることはなかなか少なかったりする。
もうだいぶ前に読んだ本「まちへのラブレター」ではこのあたりのことがわりとあからさまに触れられているので面白かった。
この本はコミュニティデザイナーの山崎さんと建築家の乾さんが往復書簡を交わすという斬新な構成なのだけど、いったって変化球的なコンセプトの本であるだけでなく、結構内容も興味深かったりする。往復書簡という形式をとることで二人の胸のうちにある疑問がそのまま、読者にも提示される。

山崎さんの坊主スタイルをゲイカルチャーを代表するかのような風貌と言ってみたり、いちいち毒を含む挨拶を往復書簡の冒頭にぶち込んでくる乾さんは、いちいち面白いのはさてき、乾さんは終始コミュニティで何かをつくるということに懐疑的だった作り手というスタンスを提示する。
思えばこの本のはじまりは宮崎県延岡市の延岡駅のデザイン監修者として乾さんが、選ばれたことに端を発する。実はこのプロポーザルを手伝ったことが、僕にとって今の職場で働くきっかけでもあり最初のプロジェクトだったわけだが、公開プレゼンでは他の候補者が駅前を含めたまちづくりのビジションを提示するなか、乾さんだけが景観や市民協働型のまちづくりに対しての考察や課題を提示していた。結局この時は乾さんの誠実さを示した変化球のようでド真ん中ストレートのようなプレゼンの前に負けてしまったわけだけど、その直後に東日本大震災が発生し実践型のまちづくりの現場に一気に飛び込むことになる。

さて話がそれてしまったけど、
ワークショップは果たして創造的な働きをするのだろうか。
例えばまちに公共施設ができる時、地権者たちの権利の調整や運営側の言い分、そして複雑な行政手続きに伴う仕事に忙殺されて、まちのユーザーであるはずの市民の声は、なおざりにされることが多い。こうした時ワークショップは大きな役割を果たす。公共の場所で募った意見たちは、個々の発言を超えて、俯瞰された意見になる。だからといってそこには多数決=市民の声と捉える必要はない。大きな意見よりも声に出せない小さな意見を慮ることも本質的には重要なことだ。

本書ではそうしたワークショップの側面以上に、形や色を決めるプロ(デザイナー)と場を使うプロ(市民)が協働する創造的なプロセスこそ、参加のデザインの醍醐味だと捉える。そして参加のデザインの向こう側に多くの可能性を見出す。
そこでふと思い出した話がある。建築家の内藤廣氏が中南米で図書館をつくったときのこと。まちじゅうの人が集い、祝い、夜通しお祭り騒ぎが起こったというエピソードがあった。建築を建てること、地域に公共建築が完成することは、本来そういった祝祭の場であっただろう。
しかしながらそれはある地域社会が求める建築が非常に明快である状況に限られるのかもしれない。図書館さえなかった辺境のまちに本がある場が出来る。それは誰もが歓迎し、誰もが明快にその必要性を語れるだろう。しかしながら縮小化する社会においては、誰のために何をつくるかさえも明確ではない。まずはつくるこが歓迎されるような環境づくりが重要だ。

自分のまちに公共施設がつくられることも対岸の火事がごとく関心が薄れて来てしまっている昨今、建造環境以前に建築環境をつくることに、建築的な思考はどうやって寄与できるだろうか。いずれにせよ“建築をつくる環境”をつくることさえも、大きな建築の仕事になることは間違いがなさそうだ。つまりみんなでつくることの設計が求められることが時流になったということだ。

Text:勝邦義

2014.12.2 ブックレビュー「シビックプライド」 text by かつ

「シビックプライド」
伊藤香織+紫牟田伸子/監修 
シビックプライド研究会/編者 
宣伝会議/出版社
→購入はAmazonから

シビックプライドという言葉がある。郷土愛とは違うまちにたいするある種の当事者意識である。都市の郊外化や人口減少による空洞化が進むなか、都市間競争は都市の差別化をはかることに重点がおかれるようになった。しかしながら都市の景観を語る時には美しいことや醜悪が問題になり、経済効果をばかりを持ち出すと、そのまちに生きるひとたちを置き去りにした議論に陥りやすい。シビックプライドという言葉が必然的に含む市民参加というキーワードが非常に重要な役割を演じることになったのは、そうした都市に関わる指標や評価軸が置き去りにしてきた人という資源にフォーカスできるからである。
 
まちの魅力をつくるのはそこに住むひとたちであり、そこに関わるひとたちである。市民の定義も多様化している震災以降の日本の状況のなかで、まちにかかわる多くのひとたちを巻き込み、彼らの広い意味での市民としての自負や誇りの再生をどうやって達成していくかが課題になってくる。

まちに関わっているという意識を醸成するような手法やアイデアが日本各地には求められているなか、いままでの都市論がもつ外からの目を意識したものではなく都市の内側から育むようなイメージをシビックプライドという言葉は喚起させてくれる。
 
本書はアムステルダムやニューキャッスルなどヨーロッパを中心とした都市の良質なコミュニケーション戦略事例がオールカラーの紙面に収められている。振興開発地区の整備をするにあたって最初にオープンスペースを整備し、開発側と市民とのコミュニケーションの場として進めるプロセスをとったハンブルグ・ハーフェンシティや、何十回とワークショップやイベントを経て市民の理解を獲得し、アートを基点にした都市再生を成し遂げたニューキャッスルなどが紹介され、ハード中心の都市開発からソフトを介したコミュニケーションに移行した新しい切り口の都市戦略の可能性を提示するものになっている。

Text:勝邦義

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